イデアさみ・藝育会に参加して(藝育の輪)

 5月の例会ではアーティストトークをさせていただき本当に有難うございました。一方的でない充実感のようなものを頂いた気がして、私にとって、とても凝縮された時間でした。
 いつも、アーティストトークを行う際は緊張して臨んでいます。下手をすると作品を肩書きのニスで塗り固めかねない…と思うからです。実際、過去には悪い意味で会話が横滑りしてしまうこともありました。横滑りの面白さも会話の醍醐味ですが、作品を間に置いた会話であれば、作者として本質に食い込む何かしらエッセンスを含ませたいなと思うのです。


 しかし、そんな不安をよそに、藝育会のトークの場は緊張している暇もないものでした。みなさんの質問や反応から、「直球さ」や、その後ろにあるアート考察の流れというか、そのようなものを感じ、そうなると私も「エッセンスを含ませる」なんてふわっとした感じでは太刀打ち出来ませんでした。自分が本気で取り組んでいる本質をお返しする為、自然にどうにかこうにか伝えようとしていることに気がつきました。色々な考えの方がディープな対話をする土俵のようなものがしっかり固まっている会だな、と、この場に初めて参加させて頂いて感じました。

アート作品、お買い上げ
銀座の奥野ビルで時を刻んだアート作品


 帰りの電車に揺られながら、会話の中で感じた一方的でない充実感、この空気は何なのだろうと考えました。トークの中で出た「アートとまち」について思い返しました。まちは、色々な仕事をされている人たちが集まって出来ています。その中に、アーティストもいて、相互に作用し合って存在している…作家目線で考えると、「存在していいよ」とアーティストに開けた場を作って頂けることは、とても有難いことだなと思いました。今日のトークも、それと同じような相互に作用し合う瞬間に、私は充実感を感じたのではないかと思いました。


 このような機会を有難うございました。これからも関わらせていただけると嬉しいです。